死んだような日々

26歳ニートの死んだような生活

タカノリだけ夏休み

今日から夏休みだ。心がウキウキしているからかいつもより30分くらい早く起きることができた。母親が「あら、早いわねおはよう。」と卵焼きか何かを作りながら僕を見ないで言った。ゆっくり朝ごはんが食べられるのも嬉しい。

いつもはパンにジャムを雑に塗り牛乳で流し込んでいたな、と日々の慌ただしさを懐かしむ。しかしそんな特急ライフともしばしの別れだ。今日はご飯に味噌汁、卵焼きにシャケに漬物、そしてEテレ。しばらく見ない内に教育テレビも変わってきた。多少違和感もあるがそのうち慣れるだろう。時間はたっぷりある。

 

母親がパートに出掛けた。大人になると夏休みも無くなる。僕も大人になるなんて信じられないな。未来のことを考えて憂鬱になるも、まだ早い過ぎるのか全力で憂鬱になることはできなかった。とりあえずこの夏休みを楽しもう。

 

しかし暑い。夏休みを夏休みをたらしめる暑さだ。目も眩む暑さに追い討ちをかけるように様がギャン泣きしている。彼らは耳がついていないのだろうか。限られすぎた命、僕の夏休みより少ないその命を快適に過ごそうとする気持ちがないのか。僕だったら迷わず北へ行く。まあ、彼らにも彼らの事情があるのだろう。自分の考えを押しつけるのも良くない。

 

しかしこれでは宿題もはかどらない。乱雑に置かれたドリルやら読書感想文用の原稿用紙やらを見るだけで嫌になってしまう。今日はこのまま置いておくだけにしようかしら。目を細めてみればこの配置もなかなか芸術的かもしれない。斜めに置かれたドリルたちが太陽の光を目一杯反射している。ベンチっぽく見えてきた筆箱に腰を下ろせば、気分はワイキキビーチかもしれない。算数のドリルは海だ。原稿用紙の砂浜は些かリアルにかけるがそれも味だ。しわを作ってリアルに近づけようとしたところで我にかえった。

 休憩しようと、麦茶、あんこまんじゅうを食べてからは記憶がない。眠ってしまっていたみたいだ。母さんも帰ってきているようで、台所からまな板を叩く音が聞こえる。

今朝の決意を早速無駄にしてしまったと後悔している所に婆ちゃんがやってきて、坊ちゃん日記でも書きなさいなと勧めてきた。学校からも一言日記があるからといったのだが、婆ちゃんはうんや書きなさいなと譲らない。

夜ご飯ができた。唐揚げだ。今日は胸肉ではないらしい。柔らかいのが純粋に嬉しい。夜ご飯を食べている時も婆ちゃんは日記を書くことを勧めてきた。母さんは僕と婆ちゃんのやりとりを笑って見ていた。母さんはバランスよく食べるなと思った。真似してみたけど唐揚げが丸々一個余った。

お風呂に浸かっている時、そういえば婆ちゃんが僕に何かを勧めるのは初めてのことだなと気づいた。そう分かると日記には婆ちゃんも唸る不思議な力があるのかもしれない、書けばよりよい夏休みを過ごすことができるのでわないかと思えてきた。というか書かなければいけないような気がした。

急いで風呂を上がり婆ちゃんに日記を書いてみると伝えた。婆ちゃんはそりゃええそりゃええと笑ってくれた。僕は孝行な孫だ。

そういうわけで日記を書いたが婆ちゃんが熱心に勧めたわけはまだわからない。夏休みが終わる頃には分かるのかしら。

 

婆ちゃんの名前はトヨという。いやカタカナって……