死んだような日々

26歳ニートの死んだような生活

あんとぅーずぃあざむ

何かにはまっている時間というのは実に幸せな期間で、折に触れて自分のブームについて思いを馳せてしまう。

私はいつも熱しやすく冷めやすくではまったと思えば飽き、暇になったかと思えば何かにはまっている。

今はちょうどその谷間にいて、ぶっちゃけとても暇だ。

暇だ、と今さっき1人呟いてしまいああ、俺は暇だ、可哀想、と自己憐憫を投げかける。

好きなことを見つけた嬉しさと比例して悲しくなってくる。

浅く広い知識がどんどん増えていく度に少し寂しくなっている自分がいる。

なにか1つのことに胸いっぱい打ち込むことの楽しさを僕はまだ知らないんだ。

長年何かに打ち込んできた人の情熱を考えると、その圧力で押しつぶされてしまいそうだ。情熱、なんと素敵な言葉だろう。これを持っている人の人間としての軸の丈夫さったらない。情熱を持っている人は挫けない。情に熱がこもってちょっとやそっとの冷静さでは冷めることがない。イチローのやつはガラス細工的なやつを作る時につかうあれくらい熱い。冬でも快適を通り越して過ごすことができない。ロシア人も全裸だ。ロシア人の女は可愛い。

それに引き換え俺の情ときたらまさに情なくてどっかのリサイクルセンターでかったファンヒーターみたいなものだ。これでは冬は越せない。アフリカンも長袖を着る。俺も長袖をきる。

嫌いになったわけでもないのに自然と足が遠のいていく寂しさをイチローは知っているのだろうか。そんな腐った女みたいな感情分かりたくもないのだろうか。1つの好きなものが自分の中にあり続ける幸福の中で生きて、胸いっぱい努力を重ねてきたイチローに嫉妬の念を抱く私はやはり卑屈だ。イチローは犬を飼っている。

まるでブームの方から去っていってしまったかのような物言いにああ情けない。やれ無神経と己を攻め始めている。

二ヶ月間くらいずっと蕎麦を食べ続けてきたことを思い出した。

同じ曲ばかりずっと聞いてしまう。飽きればほとんど聞かなくなる。

ある期間を過ぎるとチェンジするかのように友達が変わっていった。

時代は常に形を保たず移ろい変わっていくものである。諸行無常も無情な私の時代は色すなわちこれ空なりなのだなと空っぽな自分の情を見つめて思う。

これから先もたくさん色んなものを好きなっては飽きていくのだろうか。何か1つのものに出会えるのだろうか。良いところは探せば不思議と見つかるもので一筋木漏れ日を見つければ好きになってしまう。悪いも然りだが、表裏一体な物事の大海の中で快適に泳げればいいのだと思う。

 

イチローは野球。イチローは犬を飼っている。俺はボーダーコリーが飼いたい。